地域の特色


◆工業の歴史 

 旧丸子町(現上田市丸子地区)は、養蚕業の先進地帯として明治から大正末期にかけて器械製糸の依田社を中心に栄え、大正7年の丸子鉄道開通により、生糸をアメリカに輸出する花形産業の町として工業を発展させてきました。

 昭和に入ると、隆盛を誇ってきた製糸業は世界恐慌の影響などから衰退していき、製糸工場は太平洋戦争の終戦とともに姿を消しました。

 製糸業が衰退する一方で、戦時中に進出してきた機械工業や疎開工場が戦後の工業発展の基礎となり、旧丸子町(現上田市丸子地区)の産業構造を大きく動かすことになります。

 製糸業で培った技術の蓄積と平和産業への技術転換が、電機・機械・金属加工などへ向けられ、おりしも訪れた高度成長の波に乗って、工業のまちとしての実力を高めていくことになりました。

 戦後、機械・金属加工を中心としていた旧丸子町(現上田市丸子地区)の工業も、昭和30年代に入ると食品・電子などの新しい分野に広がりをみせ、裾野の広い中小企業群が形成されてきました。

 また、昭和54年の平戸工業団地を初めとして、8つの工業団地を造成するなど工業適地の整備を進め、積極的な企業誘致を推進してきました。

 現在の上田市丸子地区では、就業者人口の約35%の人が製造業に携わっており、製造品出荷額では総出荷額のうち電機・機械関係が約70%を占めています。こうしたことから、現上田市丸子地区・武石地区は、製造業、特に電機・機械を中心とした工業生産地域といえます。

◆プロダクツマインドを結集して未来へ

製糸の一大工業都市から電機・機械など多様な工業生産都市へ、一世紀にも及ぶ技術の蓄積と時代の波を捉えるあくなき発想と挑戦が、地域に根ざした工業の町としての発展を常にリードしてきました。

 産業の草創と成長に長い経験をもち、製作者としてのマインドを育んできた潜在力が、情報化社会を切り開く技術革新や環境との共生を目指す変革の力を生み出し、未来へ活かされる時代を迎えています。

神の倉工業団地

中丸子工業団地


南方工業団地

平戸工業団地


中尾工業団地

下丸子工業団地


箱畳工業団地

南原工業団地


原山工業団地

依田工業団地


◆現上田市丸子・武石地区の工業の礎を築いた人々
      「顕彰記念碑の六人」

下村 亀三郎(1867~1913)

 

 丸子町(現上田市丸子地区)初の器械製糸業を興すと共に依田社を設立。寒村であった丸子町(現上田市丸子地区)を一大製糸王国へと変え、産業の発展に尽力し、工業のまち丸子の礎を築く。


工藤 善助(1854~1938)

 

 

 下村亀三郎氏の後を継ぎ、依田社社長となり、糸質の向上、生産の飛躍的な発展を図り依田社の全盛を築く。又、鉄道開設等幾多の公共施設の拡充に尽す。


金子 金平(1873~1941)

 

 依田社に製糸試験所を設置し糸質向上と技術革新に力を注ぐ。又、製糸業衰退の中、鐘淵紡績株式会社丸子工場の招致に成功し丸子町(現上田市丸子地区)の産業復興に貢献する。


松山 原造(1875~1963)

 

 

 双用犁の元祖である単ざん双用犁を発明し二十数件に及ぶ特許実用新案を登録。松山スキの名で全国に普及を図り、農耕機業界の中心的役割を果たす。


金子 行徳(1878~1965)

 

 

 製糸業より資本集約的な絹糸紡績に着目し信濃絹糸紡績株式会社を興す。以来、連続黒字経営を堅持すると共に電子産業へ参入し地域産業の振興に貢献。


綿谷 善蔵(1894~1969)

 

 

 綿谷製作所を創立。自ら技術指導にあたり多数の優れた技術者を養成する一方、自主独立を奨め二十有余名を経営者として輩出し中小企業育成に力を注ぐ。